大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成5年(オ)2108号 判決

上告人

甲野一郎

甲野太郎

甲野春子

右三名代理人弁護士

藤井正章

被上告人

甲野夏子

被拘束者

甲野秋子

右代理人弁護士

吉川正也

主文

原判決を破棄する。

本件を札幌地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人藤井正章の上告理由について

一  原審の確定した事実関係は、概要、次のとおりである。

1  上告人甲野一郎(拘束者)と被上告人(請求者)とは、平成四年一月二八日に婚姻の届出をした夫婦であり、被拘束者は、同五年二月一九日、両者の間に出生した長女秋子である。

2  両者の婚姻関係は、その後間もなく破綻にひんし、被上告人は、同年五月一五日、被拘束者を連れて当時夫婦が居住していた札幌市のマンションを出て、上告人一郎と別居し、苫小牧市に住む親戚方に身を寄せた後、実母の住む札幌市のアパートに移り、現在、同女と共に右アパートで同居している。

3  上告人一郎は、被上告人が別居した七日後の平成五年五月二二日、被上告人の親戚方を訪れ、被拘束者を連れ戻し、以後、一郎の両親である上告人甲野太郎及び同甲野春子の自宅において、同居しながら上告人ら三名で被拘束者を監護養育している。

4  上告人らが被拘束者と生活している建物は、上告人太郎及び同春子が共有する二階建ての二世帯用の自宅で、中古車販売会社を経営している上告人一郎には月額三〇万円程度の収入が、鉄工所を経営している太郎には月額五〇万円程度の収入があるほか、春子にも不動産収入として年間約五〇〇万円の収入があるところ、春子は、一郎が被拘束者を連れて来た後、仕事を辞めて被拘束者の養育に専念し、また、一郎も、仕事の合間に自宅に立ち寄り、被拘束者の面倒をみるなどしてその監護に努め、被拘束者は、順調に発育している。

5  他方、被上告人は、前記のとおり、実母が賃借している二間のアパートで実母と同居しているところ、実母には心臓機能に障害があるが、日常生活には支障がなく、被上告人が必要に応じて実母から援助を受けることは可能である。被上告人は、被拘束者を引き取った場合に、右アパートで被拘束者を監護養育する予定であるが、被上告人の収入(スーパーマーケットにパートで勤務している。)に実母が受給している障害者年金及び生活保護費等を加えると、月額約二五万円の収入が見込まれる。

二  原審は、右の事実関係の下において、(1) 被上告人は、母親として、上告人らは、父親又は祖父母として、いずれも被拘束者に対する愛情を持っている、(2) 上告人らと被上告人との経済状態及び居住環境を比較すれば、上告人らのそれが優れているが、被上告人及びその実母にも一応の収入があり(被上告人の経済状態が十分でなく、被拘束者の監護に不足するような場合には、上告人一郎が父として養育費用を負担すべきものである。)、その居住環境も、被上告人が実母及び被拘束者の三人で暮らすのに格別不都合があるとはいえないとした上、被拘束者は、身体的発達のために細やかな面倒を受ける必要があるばかりでなく、母親から抱かれたり、あやされたり等、その手により直接こまごまとした面倒を受け、母親のスキンシップにより安定した性格、人間的情緒の発達が始まると考えられる一歳に満たない幼児であるから、被拘束者の人間としての幸福を考えると、被拘束者にとっては母親の下で監護養育されるのが最も自然で、幸福であるというべきであるとして、被上告人の本件人身保護請求を認容した。

三  しかしながら、原審の右判断は是認することができない。その理由は、次のとおりである。

1  夫婦の一方が他方に対し、人身保護法に基づき、共同親権に服する幼児の引渡しを請求する場合には、夫婦のいずれに監護させるのが子の幸福に適するかを主眼として子に対する拘束状態の当不当を定め、請求の当否を決すべきところ(最高裁昭和四二年(オ)第一四五五号同四三年七月四日第一小法廷判決・民集二二巻七号一四四一頁)、この場合において、夫婦の他方による乳児の監護・拘束が権限なしにされていることが顕著であるというためには、その監護・拘束が子の幸福に反することが明白であることを要するものであって(最高裁平成五年(オ)第六〇九号同年一〇月一九日第三小法廷判決・民集四七巻八号登載予定)、この理は、子が生後一年未満の乳児であるとの一事によって異なるものではない。

2  これを本件についてみるのに、原審の確定した事実関係によれば、被拘束者に対する監護能力という点では、上告人らと被上告人との間に差異があるとは一概に断じ難く、双方の経済状態及び居住環境という点では、上告人らのそれがむしろ優れているといえるのであって、本件記録に徴する限り、被拘束者が生後一年未満の乳児であることを考慮に入れてもなお、上告人らによる被拘束者の監護・拘束がその幸福に反することが明白であるとまでは到底いえない。

四  以上によれば、論旨は、右と同旨をいうものとして理由があり、原判決は破棄を免れず、前記の事実関係を前提とする限り、被上告人の本件請求はこれを失当とすべきところ、本件については、乳児である被拘束者の法廷への出頭を確保する必要があり、この点をも考慮すると、前記説示するところに従い、原審において改めて審理判断させるのが相当であるから、これを原審に差し戻すこととする。

よって、人身保護規則四六条、民訴法四〇七条一項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千種秀夫 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官大野正男)

上告代理人藤井正章の上告理由

第一点 拘束者らの拘束に違法性はない。

一、夫婦関係が破綻に瀕しているといっても、本件の場合、請求者は、拘束者甲野一郎(以下単に拘束者という)と、平成五年四月一六日、自宅において、

「これからは学会もやめて、子供と三人で仲良く生活していこう。」

と、誓い合ったにもかかわらず、一ケ月を出ずして計画的に、拘束者に一言の言葉もなく黙って家出して、札幌市から八十粁余りも離れた苫小牧市のコンビニエンスストアーもない山奥に子供を隠してしまった。

二、拘束者は、父親の親権、監護権のもとに、子供の所在を探し出して、離婚の話が決まり、

「親権者が決まるまで子を預かる。」と言って、子供を抱いて出たにすぎない。

三、請求者が、親権者、監護者に決まっていたのに連れ出したとか、請求者が、

「家出する。」

とか、

「子供を一緒に連れていく。」

とか拘束者に対し、ことわって家出したものならば、違法性があると言うことができるが、前記の事情では違法性を問擬される理由はない。

第二点 原判決は、憲法第一四条の性別により差別されない条項に反する。

一、子の親権者を裁判所で決めるまでは、父親の立場、母親の立場は男女平等であって、父親が監護する特別な障害があればとも角、原判決は、被拘束者に対する母としての愛情を持っていることを強調し、拘束者が父としての愛情をもっていることを全く無視しており、男女平等の憲法第一四条に違反する。

二、請求者は、被拘束者を妊娠したとき、会社にいた拘束者に対し、

「妊娠してる。創価学会をやらしてくれないと、離婚して子供をおろす。」と強迫し(拘束者の供述書二、5項―疏乙第一七号証、会社の職員の覚書―疏乙第二三号証と第二四号証)、その精神的衝撃で、拘束者は円形脱毛症になった(理髪屋の証明書疏乙第二五号証)。

三、請求者の言葉どおりであれば、元々被拘束者は、この世に生まれてこなかったのである。

事実、請求者は、拘束者の前に関係のあった男性の子は、宗教上の信仰の妥協がなかったので、子をおろした経験があったのである。

だからこそ、拘束者は、父親の愛は、他の男性以上に深いものがあった。

請求者は、宗教の狂信性による宗教活動の前に、人間尊重の憲法第一三条の生命尊重を捨ててしまう考え方であった。

四、母の愛、父の愛は、両性平等であるばかりでなく、本件の被拘束者に対する父の愛は、右の理由により強固なものがあり、だからこそ、請求者は札幌から八十粁余りも離れた苫小牧市の山奥に子供を隠したのであり、父の愛に対する判断をしていないのは、両性の平等の原則に反する。

第三点 原判決は、憲法第二〇条宗教の自由を無視している。

一、本件の拘束者と請求者との婚姻の破綻の原因は、請求者の妥協のない宗教活動を婚姻生活を犠牲にしてまで狂信していることに尽きて、その他の理由はない。

二、請求者は、両親が創価学会の狂信者で、出生して四ケ月足らずで、親から入信させられて、二八才に至るまで、宗教活動に専心し、拘束者一家に対して強制しようとした。

三、憲法第二〇条は、信教の自由の保証だけでなく、何人も宗教上の行為を強制されないことを規定している。

四、拘束者は、請求者の強制に対し、断固反対しただけでなく、自分の子が、請求者の轍を踏まないようにさせるため、子の信教の自由を保証させるために、父親のもとで親権、監護権を行使することを信念とし、本件においても強調してきたのである。

五、自分の子が、請求者のように創価学会を猛信して宗教活動に専念し、請求者と同じく宗教上の意見の合わない男性の子をおろし、結婚しても離婚して、片親だけの生涯に終わらせないようにするために、父の愛で育てなければならないと考えていることを原判決は無視し、被拘束者の信教の自由を守ろうとしなかった違法がある。

以上の諸理由により、原判決を破棄し適正な裁判を仰ぐ次第である。

以上

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